ガソリン代は、高くていい? 

:経済学的観点から考える 

本記事の解説対象は、
『地球温暖化対策、脱炭素社会を目指す観点から言えば「ガソリン代は高くていい」』
という話題についてです。

この意見に対して、
地球温暖化の観点から「実は地球温暖化など嘘だ!」
という意見もあれば、

経済的な観点から「国民の経済苦をなんだと思っているんだ!」
といった声を耳にします。

ただここでは、地球温暖化の観点の是非は問いません。
昔から様々な議論がなされており、専門家ですら意見が分かれるのであれば、その是非を断言するのは(現時点では)困難でしょう。

さて、本題です。
経済的な観点として「ガソリン代を意図的に高いままにする」効果を考えてみましょう。

ガソリン消費量が減る

人々はガソリンをなるべく使わないように、節約したり代替エネルギーを使います。
この動きは結果として脱炭素社会に向かうには有効な方法の一つです。

効率的な市場機能をゆがめる

しかしそれは一方で、「効率的な市場機能をゆがめる」ことに繋がります。
市場機能をゆがめれば、それによって社会全体に不利益が生じ、これを死荷重といいます。
この死荷重の表現を変えると「経済苦をなんだと思っているんだ~」になるわけです。

哲学や思想を読み取る

この死荷重を許容するかどうかは、時と場合に依ります。
特に市場機能に任せていたら防げないような公害など、
死荷重よりも社会的損失が大きい場合に、規制や課税が行われる場合もあります。
(これを外部不経済といいます)

ただこうなると、もはや「ガソリン代は高くていい」かどうかは、
経済学の範囲を一部超え、政治や哲学の論争に飛び火します。
このガソリン代が高いことで受けるデメリット(死荷重)よりも、
それによるメリット(脱炭素に努力をしているというアピールなど)が大きいかどうかは、
その人の価値基準(哲学)に依存する場合が多いからです。

逆に言えば、この問いに対してどのような意見を持つかは、
その人が何を重視し、どこを軽視しているかがわかります。

データが無い状態で「良い/悪い」は水掛け論にしかなりませんが、
少なくとも、どのような哲学や思想を持っているのか、
読み取ることは有益なことではないでしょうか。